海外キャリア

英語が話せりゃいいってもんじゃない

国際的な人って、英語ぺらぺら話して明るくて、かっこいいですよね。でも私は思います。英語が話せるからかっこいいわけではないと。英語は、話せるようになると思いますが、コミュニケーションを取る方法であって、それだけあれば国際的な人かといわれると違います。

私が思う国際人って、許容範囲の広いひと。世界にはいろんな考え方や受け取り方があることを理解している人。英語が話せてもNoが得意な人は私にとってはただの英語を話すひとです。私は幸運なことに、世界中の人と絡む機会がありました。

例えば航空会社。アメリカの航空会社で、世界中に就航しているメガ航空会社に勤めておりましたので職場が世界に広がりました。アメリカの環境で働くのが初めてだったので、アメリカの職場環境に触れ全てが新鮮でした。アメリカ人のフレンドリーなサービスを見ていて、日本の「おもてなし」のように丁寧な接客がいつも正解ではないのだな、ということを学びました。

お次はアメリカの大学院。学生達は世界中からきており、卒業後も世界各地で皆活躍しています。同級生たちとよく集まって遊びましたが、その中でフィリピンから留学に来ている子がいました。彼女からお誘いがあると行ける時はもちろん行っていましたが、行きたいけど予定が確定ではない時は「行けたら行くね」と返答していました。それで数回行けませんでした。そうすると怒ってしまい、口を聞いてくれなくなりました。

後から理由を聞くと「あなたは断ると感じが悪いから良い人を演じるために行く気もないのに行くといってこない。信用できない。」と言われました。私も何度も同じことをアメリカ人にされてはドタキャンされているので「私だけ!?」という気持ちはありましたが、これは国際的な基準なので注意しようと思い、それからは返事の際にはとても気を遣い、行ける時は自分を奮い立たしてでも行くようにしています。

その後に勤めたアメリカ政府では笑い話を。全世界のアメリカ大使館に勤めている同僚たちと一緒にワシントンD.C.でトレーニングを受ける機会がありました。その間、ブルキナファソの同僚に気に入られ、「僕と結婚してくれ。セカンドワイフとして」と言われました。最初のプロポーズがセカンドワイフかい、と心の中でツッコミながら断ったことがあります(そこの国は一夫多妻制)。

海外の人と接していると本当に自分の常識なんて常識じゃないなと思うのです。そのうちに、理解ができないことをされたりしたときに、これは単に常識違いなのかもしれない、と認めることができるようになります。これは日本人同士でももちろん同じことが言えます。日本人だからこのような対応をするだろう、という暗黙の常識が当然のようにあると、せっかくの人脈の輪を広げる機会を損失します。

例えば理解できない対応をされたとき、相手の事情を慮ることができるのが国際人、または国際的に行き渡っていくことが出来る人だと思います。